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2005.08.09

ソ連参戦記念日

本日(ってもうすぐ明日になるんだけど)は、
世間的にはナガサキへの原爆投下の日なんだが、
我が家的にはそれ以上にソ連の参戦日という印象が強い。

当時、うちの家族は北朝鮮の雄基というところにいたのだが、
かの国は宣戦布告前から空襲と侵攻を開始、
60年前の今頃は北朝鮮の野山を逃げまどっていたはずである。

幸い、うちの祖母と当時10才の母は、
途中で一度はぐれたものの奇跡的に再会することができ、
まさに九死に一生という感じで本土にたどり着くことができたが、
避難する道すがらで点々と捨てられていた子供たちの姿が、
目の裏に焼きついて離れないといっていた。
うちの母も、もう少し年が下だったら同じ目にあったかもしれない。

そして、祖父はソ連に抑留され、4年間帰って来なかった。

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Comments

ウチのじーちゃんは満州にいたさ<終戦当時
でもって中央アジアに抑留されたんだな。まぁ、シベリアじゃなかったから無事に帰ってこれたと思うが…。いで吉のじーちゃんはどこに抑留されてたん?

Posted by: なぢ | 2005.08.10 at 02:56 AM

確か、イルクーツクだったかなぁ。
よく帰って来たもんだよ(~_~;)

Posted by: いで | 2005.08.11 at 12:07 AM

こんにちは。私の父も雄基に住んでいて命辛々帰ってきました。
お母様と同じく当時10歳でした。
もしかしたら同級生かもしれませんね。
やはり祖父は連行され、その間に祖母が亡くなってしまい、子供だけで何とか生き延びているうち奇跡的に祖父と再会できたそうです。
今、父は当時のことを手記にまとめていて私が色々調べていると、このブログにたどりつきました。
書かれてからだいぶ経ってしまっているのでいまさらご迷惑かな?と、ためらいながらコメントさせていただきました。
手記が出来上がったらお母様にも是非読んでいただきたいです。
祖父はもちろん一緒に帰ってきた妹達も亡くなってしまい、あの頃の思い出をわかってもらえる人がだれもいないのです。父は「雄基から引揚者の会」とか開かれたりしていないかなあ?と言っています。
何かご存知でしたら教えてください。

Posted by: りち | 2007.05.24 at 05:20 PM

りち さま

RESありがとうございます。
身内以外で初めて雄基からの引揚者の方に出会えて感動しています。
お父さま方も苦労なさったのですね。

残念ながら祖母と母は数年前に相次いで他界してしまい、
現在ではその頃を直接的に知る家族は誰もいなくなってしまいました。
もう少し早ければ、本人と直接やりとりが出来たのですが・・・。

お役に立てるかわかりませんが、私が聞かされていたことを書いてみます。

当時、祖父は鴨緑江の水豊ダムの工事現場に医師として赴任していて現地召集され、
終戦時には軍医中尉として雄基の陸軍官舎に家族共々住んでいました。

松茸でいっぱいの山があって、そこに近づくだけでぷーんと松茸の匂いがしたとか、
戦争も後半になると本土に運べない大豆が大量に配給になって、
町のお豆腐屋さんに使ってもらっとか、断片的な話を覚えています。

8月8日夜、突然の空襲。祖父は敵機の赤い星のマークを見て、
(これはまずいことになった)と思ったそうです。

現地の在留邦人はこの、陸軍官舎の防空壕に避難した人が多かったそうです。
陸軍では特別列車を仕立てて南へ避難したそうなんですが、
この時軍関係者が優先され、一般の人は後回しにされたらしいですね。
(普通は逆だろうと思うのですが)
祖父も途中まではこれに乗ったらしいのですが、
残してきた患者が心配だと戻り、ソ連の捕虜になりました。
長年戦ってきたアメリカに降伏するよりはソ連のほうが・・・
と思ったらしいんですが、結果はご存知の通りです。

祖母と母は列車に残りましたが、
空襲に遭い線路も寸断されて徒歩での避難を余儀なくされました。
この間も何度も空襲があり、一度は母と離ればなれになったそうです。
祖母はあまりにつらくて、もう母のことはあきらめてしまおうかと思ったそうですが、
一緒にいた兵隊さんが、「奥さん、ここであきらめたら一生後悔しますよ」と励ましてくれ、
いくつかの集合場所を探し歩いたところ、奇跡的に再会することができたそうです。

本人たちが生きていれば、
もっと詳しい話を聞くことができたのですが、残念です。

引揚者の会ですが、私も気になって数年前に探してみたことがあったのですが、見つけられませんでした。
ほとんどお役にたたなくて申し訳ありません。

お父様の手記が完成しましたら、よろしければぜひ拝見したく思います。

Posted by: いで | 2007.05.25 at 01:17 AM

いで様
お返事下さってありがとうございます。
ホントに何と言えばいいのか、震えるような感じです。
お祖母さまとお母様亡くなられてしまっていたのですね・・・。
返す返すも残念です。
読ませていただきながら、涙がとまりません。
お祖父さまは、正しい志を貫いたがためにシベリアに送られてしまったのですね。さぞご苦労なさったのでしょうね・・・。
私の祖父は雄基の警察署で経理の仕事をしていました。連行されましたが不幸中の幸いと言うべきか、シベリアではない収容所だったようです。恐らく軍の関係者ではなかったからかもしれません。
帰国してから祖父は朝鮮でのことはほとんど語らなかったそうです。
私は、父が子供の頃朝鮮にいたことは知っていましたが詳しい話を聞いたのは2、3年前が始めてで、父の苦労をまったく知りませんでした。
祖父が連れて行かれ、やがて祖母が亡くなってからは、まるで「ほたるの墓」のように二人の妹を守るため、ゴミをあさり、物乞いをし、時には畑の作物を失敬したそうです。
でも、終戦前の雄基の小学校での思い出は楽しいことばかりのようです。
父は70歳になるころから、あの頃の経験を書き残しておきたいと考えるようになったようです。でもなにしろ当時子供でしたので逃げたルートや地名などの記憶がはっきりしないので、私が色々調べるようになったのです。
でも、雄基で検索しても松村雄基ばかり出てくるし、手記にしても満州や平壌のほうからの体験談しか見つからなくて、いで様のこのブログの1文章だけが唯一、父の体験とリンクするものだったのです。
しかもお母様の終戦時の年齢が10歳とは父と同じなのです。
すみません・・・長々と書いてしまって。
今、父は手記のあとがきを悩みながら書いています。
本当にいで様には是非読んでいただきたいです。
完成しましたらまたこちらに報告させていただきます。

Posted by: りち | 2007.05.25 at 06:25 PM

いで様、りち様
私は現在68歳、昭和20年8月は雄基の幼稚園に通っていました。父親は応召の軍医中尉。雄基ではペチカのある軍官舎に住んでいました。松茸の匂いの記憶はありませんが、裏山には渓流が流れ、りすやスカンクがいました。ソ連の参戦で、軍の家族は南に避難することになり、元山に辿りつきました。ソ連軍は船で元山上陸、それで敗戦を知りました。昭和21年6月頃、38度線を突破して釜山に、その後、米軍の貨物船で博多港に帰還しました。父親はシベリア捕虜となり3年後に帰国。すでに他界しました。いで様の母上が目撃された子供の置き去り、りち様の父上の乞食生活、私の体験と重なります。

Posted by: 中西 | 2008.04.05 at 08:52 AM

>中西 さま

コメント書き込みありがとうございます。
お父様が軍医中尉をしてらっしゃったということは、
私の祖父と同僚だった可能性が高いですね。
私の祖父も応召で、ポツダム大尉でしたから、
当時の階級は中尉でした。
祖父や祖母とも親しくさせていただいていたのかもしれませんね。
長い年月が経ち、当時のことを知る家族がすべて他界してしまっているのは、返す返すも残念です。
中西様も引き上げまでに苦労されたようですね。

りち様のお父上が当時の手記を出版なさり、
雄基の小学校の同期会などもあることがわかってきました。
まだ、雄基にいた方は相当数がご存命のようです。
もしご連絡をご希望でしたら、
(先方様のご意向をお聞きした上ですが)
仲介の労をとらせていただきます。
私宛ご連絡ください。

Posted by: いで | 2008.04.06 at 05:34 PM

メールアドレスは
gj4h-ooid@asahi-net.or.jp です。

(スパムメー防止のため、アットマークを大文字にしてありますので、小文字に直してからお送りください)

Posted by: いで | 2008.04.06 at 05:36 PM

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