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2011.04.24

ある特攻隊員の手記

 先日、クルマを借りに加須の知人宅にうかがったさい、2年ほど前に逝去されたご尊父の手記を見せていただいた。

 お父上は志願して海軍航空兵となり、基礎訓練が終了後、昭和20年3月に特攻隊として配属され、京都の川原でグライダーによる訓練中に終戦を迎えたという方である。

 生前は戦争中のことをほとんど話されなかったそうだが、没後に遺品を整理していて、綺麗にワープロ打ちされた手記を見つけたのだという。

 手記はレポート用紙4枚ほどの簡単なものだが、その中で司令長官の中将が兵舎までやってきて水上特攻の志願者を募ったとか、乗るはずだったのは地上から打ち上げる、ロケットに翼を付けた爆弾だったというような興味深い記述があった。

 司令長官の中将、というのは時期からいって、第1航空艦隊の司令長官だった大西瀧治郎中将のことと思われる。俗に特攻の生みの親といわれ(異説あり)、終戦時に特攻推進の責任をとり割腹自殺をとげた軍人である。このとき志願した兵はモーターボートに爆薬を取り付け、体当たりする振洋隊に配属されたらしい。

 残った兵は前述の通り京都で終戦を迎えたとのことだが、ロケットに翼を付けた爆弾、という記述を元に調べたところ、所属されたのは海軍第海軍第725航空隊であることが判明した。使用機材は桜花43乙型。これは、有名なロケット特攻機「桜花11型」の改良版で、従来の固体ロケット推進から国産初の実用ジェットエンジンであるネ20にエンジンを変更したものだ。

 基地は比叡山の山中に設けられ、山頂からカタパルトを設置、ここから大阪湾に襲来する敵艦船に体当たりする計画であったといわれる。もう少し戦争が長引いていれば実戦に使用されていたかもしれない。


 この方は手記の中で、特攻要員に決定したときの混乱した感情を、「頭で納得しても心が納得しない」と、飾らず率直に表現しておられ、水上特攻要員となった同期生が転出していく際の涙の別れなど、万感胸に迫る思いが伝わってきた。

 戦争が悪か、ということはここでは論じないが、少なくとも上層部の無定見によって徒に前途ある若者を死に至らしめた、神風特攻のような愚行だけは、絶対に再び繰り返してはならないということは間違いない。

 この方は戦後復興の時代を中華料理店の店主として馬車馬のように働き、中華料理店組合を作るなど仲間の社会的地位の向上のためにも尽力し、そして前のめりに倒れるようにして逝った。

 もう一度、あのおいしいラーメンを味わいたいと思っても、二度と叶わない望みとなってしまった…。

  改めてご冥福をお祈りしたいと思う。

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